過去にたこ天にご参加いただいた方の感想をご紹介いたします。

 

■ たこ天に初めて参加しました。最初は期待と不安でモヤモヤとした気持ちがしていました。それが、たこ天村に馴染むにつれ、自分の中に眠らせていることの多い無邪気さが、外に出てきました。そして自分が自由にのびのびしていることに気づきました。自分の無邪気さが、こんなにも自分を自由にし、自分の心を開かせる。そのことに慣れていないので、うろたえてしまうこともありましたが、心も体もよく動いていて、とてもうれしかった。自分のエネルギーを感じた、充実した日々でした。たこ天に参加してよかったなあと思います。
今、小谷先生の言葉を思い出して、しみじみとしています。「今、私たちは生きているんだということを忘れないでください」この言葉を大切にしたいです。

 

■ 自分の怒りと向き合いたい、そう思ってたこ天に参加しました。
たこ天に参加したのは初めてなのですが、その中でいろいろな自分を感じることができました。人と接するときに見栄をはる自分、人と接するのを怖がってる自分、人の前で自分を出すことの怖さ、そういった人との関係の中で線を引いて接している自分がいるということをすごく感じました。一方で、いろいろな活動を通じて、好きな自分というのも発見できました。昔よくやっていたバスケットボールのような激しいスポーツが、改めて好きなんだと心底思えたこと、グループの中で怒りを思い切り出して、そういう野蛮な自分が好きなんだと思えたことなど。
このような体験を大きな集団の中で経験できたことは自分にとってすごく大きな経験になったと感じています。たこ天の3日間の中で自分の中にはもっといろいろな自分がいることを強く感じるようになったので、いろいろな自分をもっと見つけていって、良いと思える自分も、嫌だと思う自分も認めていけるようになったらと思っています

 

■ 今回、初めてたこ天に参加しました。当初あまり気が進まず、参加することには及び腰でした。実際、参加してみて振り返ると、今まで自分が接してきた人とは違ういろいろな人と接する機会が持て、人と話し合うという行為が、新鮮で刺激的なものだということを思い出しました。思っていたよりも、良いものだったなあというのが正直な感想です。
自分と向かい合うということに真摯に取り組んでいらっしゃる方々がこんなにも多いのかという衝撃とともに、自分がいかに自分と真剣に向かい合ってこなかったかということに気づかされ、教えられたように思います。
泊りがけで多くの人と話し合うということは、自分にとって未知の経験で、まるで異世界の経験でした。最後までその場にいるのが違和感なくなることはなかったものの、自分がたこ天後、少し心が躍動してきた気がするので、貴重な時間を過ごすことができたと考えています。

 

■ 大グループでも発言させていただきましたが、「千と千尋の神隠し」で千尋が不思議な世界に迷い込み、厳しく優しくしてもらいながら必死で頑張っていたら、知らず知らずなにかしら大きく精神的に成長していた。家に帰ってきて、率直にそのような感覚を感じます。
今回は小谷英文先生からお誘いを受け、自分自身のこともさることながら、娘の問題のヒントだけでも見つかればと思い、参加させていただきました。色々な冊子やたこ天のパンフレット等に目を通して参加したつもりですが、最初はすべてのことに戸惑いました。しかし、小グループで若い方々の心の深いところから出てくる率直で力強い言葉を受けて、自分自身の父親との関係(考え方)やものの考え方に由来する偏った人間関係の在り方など、自分自身を深く考えるいい機会になりました。
たこ天を企画運営してくださった先生方をはじめ、参加者のすべての皆様にお礼を申し上げて、感想に代えさせていただきます。

 

■ 充実した時間が過ごせたと思います。楽しいだけではなく、辛い気持ちになったり、不安になったりする事も有りましたが、そんなときに、人が居る事が自分にとって支えになるんだと実感しました。そして、自分の思っている事を、人に伝えると、受け取って貰えたり、返して貰えたりして、それがとてもうれしいと思いました。人とかかわる事は苦手だと思っていましたが、人の中にいても無理をしない、自分にとって楽な方法が分かってきた気がします。たこ天に参加して、今まで思っていたよりも、自分が変わってきたことが分かりました。

 

■ 忘れたくない夏になった。たこ天に参加するまでの迷走、参加するきっかけとなる巡りあわせ、そしてたこ天で過ごしたこと、いま生きている私、すべてが有難く、愛おしい。
たこ天で私が体験したことは、「自分」との出会いであり別れだったかもしれない。それは、これまで無意識に目を背けて来た自分の姿を認識することであったと思う。そのみじめな様に憤り、悲しくて、悔しくて、涙があふれてならなかったが、同時にうきうき、わくわく、嬉しかった。その感覚は今なお、消えることはない。これからもより多くの「自分」と出会い、別れられるように願う。そんな思いを抱きながら、たこ天の外世界でも新しくスタートを切った私。思うようにことは進まないが、なんだかちょっと生きやすい。そんな気がするのです。

 

■ たこ天村に掲げられた「こだわり」の筆文字が今でも脳裏に浮かぶ。私はこの言葉を食い入るように見つめ続けた。勢いのある文字で好きだった。これまで来た道の途中で、「要らない」としながらも意固地にズルズルと引きずってきた大きなこだわりを私はひとつ、たこ天においてきた。それは「独りで生きてやろう」と去勢を張って積み上げてきたこだわりである。そして、そのこだわりの中に入ってみて私は、人に頼ろうとするのだけれど「頼る」ことができなくて、うまくいかないとすぐいきり立つ、なんとも不器用な自分に出会った。今回新たに知ったのは、頼ることは難く、そこで必要なのは自分の心に余裕と粘りをもつことである。具体的には、自分と対話する間合いを取ること、自分の心に渦巻く気持ちを対象を定めて伝えてみることを学んだ。たこ天をへて、私は自分の心に対し、もっと落ち着いて、しつこくこだわっていこうと思うようになった。自分の道は自分だけのものだが、決してひとりきりではなく、同じく各々の道を進む多くの仲間がいることは心強い。仲間と声を交わし、心を響かせあいながら道を行きたい。私にとって今年のたこ天は出発である。まだまだ自分は伸びていくぞと予感しながら、粘り強く歩もうと思う。
たこ天に参加して、いろいろな発見がありました。

 

■ たこ天、そこは様々な人がいたり、語り合ったり、体を動かしたり、自分を探すための非常に資源に満ちあふれている。それらをどう利用するのか。求めれば道は開けてくる。求めなればなにも起こらない。非常にシンプルだと思いました。思いを実現する手助けをスタッフの方々はしてくれますが、それはあくまでも自分が積極的に何かをつかむための補助でしかない。結局自分で動いただけ得られるものがある。そういう場所でした。実際に行動を起こすことは、書くほど簡単なことではありませんし、時には怖さを伴うことでもあり、自分でもわけの分からないことすら起きました。それでも頑張ってやってみようと思える自分を振り絞った結果、いまの自分にたどり着いたのだと思います。その自分とは、「いいから、とりあえずやってみようぜ」、そう思える自分、そしてそういう自分を感じながら動き続けている自分です。

 

■ たこ天に参加したのは今年で二回目でした。昨年は初めてだったので、少し戸惑った場面があり、かなり苦しかった印象がありますが、今年は「楽しい」と思える瞬間があり、プログラムが終了した後、不思議な爽快感を感じました。このような感じで今年のたこ天を終えられたのは、少し驚きでした。
二回目の参加でプログラムの概要を知っていたので、比較的スムーズにプログラムの流れに入っていけたことが大きいと思います。しかし、やはりそれが上に、今年は参加動機や取り組みたい課題を強く意識できていたのが大きかったと思います。その結果、本当に短い時間でしたが、自分なりの「人付き合い」ができた瞬間があったと思いますし、そこでの体験が今後につながる大きな収穫になりました。密度の濃い三日間でした。

 

■ 19歳 女性
「…何度も思い出にひたっているうちにひとつ見つけたことがあるので書きます。たこ天は本当にたこ天村なんだ!!と思いました。実際の故郷は私にはないのですが感覚的な感じですが、たこ天村は私の故郷で、毎年、「今年こそ巣立とう」と思いつつ、毎年、「もっとたくさんの瞬間を大切にしたかった……」と思って家に帰るのです。たこ天村では私は大人にもなれるし、こどもにもなれるような気がします。いつか、自分の心にしまって、たこ天村に帰らなくても見失わずにいたいと思うけど、まだ私は、夏になると帰りたくなるみたいです」

 

■ 40代 女性
「私にとってたこ天は、自分の荷物を荷ほどきし、再発見させてくれるところです。人はだれでも自分の荷物を背負いながら人生という道のりを歩いています。時には荷物の重さに耐えかね、へこたれそうになったり、荷物の中から漏れ出してくる腐臭に気づきながらも、ビニールで幾重にも封をして気づかなかったふりをしたりしています。たこ天は、その荷ほどきをして、どんな荷物があるか点検し、臭いものは思いきってフタを開け風にさらしてみることで、背負っている荷物の中身がなんとなく見えてきて、それを もう一度しっかり背負い直そうと自分を前向きな気持ちにしてくれるものです……」

 

■ 20代 男性
「私は今年のたこ天で、様々な気持ちを強く感じた。心地よい気持ちであれ、痛くて辛い気持ちであれ、気持ちから逃げなかった。気持ちを食べすぎ、食事が食べられなかった時もあった。そんな中で、人に気持ちを言うとき、恐れを強く感じなかった。それは、心が強く訴えかけている本当の気持ちだったからだと思う。自分が自分の心と非常に近いところにいる感覚だった。…たこ天を終えて今、そういう自分に対して好き嫌いを越えた思いがある」

 

■ 50代 男性
「私は5年前に初めて参加しました。…すると5年前に中学生で参加していた人が大学生になっていたり、…なつかしさを感じるとともに、その変化に驚きもしました。…実際、たこ天で活動してみると、子供はよく遊ぶなあとつくづく感じるとともに、頼もしさを感じます。キャンプファイヤーでは、大人たちが子供にいいように遊ばれてしまいました。ああしたことで大人も子供から元気をもらっていることを実感します。……」